ジーコ緊急インタビュー 「岡田監督を信じて、戦い続けよ!」(Number Web)
岡田ジャパンのベースとなっているのはジーコ時代。
「ドイツワールドカップで我々は、オーストラリア戦の最後の8分間で決勝トーナメント進出を逃した。残念ながら、それも我々のしてきたことの一部でもあるのだよ。
しかしオーストラリア戦の8分間の失敗だけで、我々が4年間にしてきたことが、軽視されてはならないと思う。断固として我々の4年間を軽視すべきではない! その努力の証明となるのが、岡田ジャパンと呼ばれる現代表のベースが私によって創られたものであるという事実だ。しかもそのチームが、ほぼワールドカップ出場を決めるところまで来ているのだから」
本当にジーコのチームが現在の日本代表のベースとなっているのか。検証してみよう。
2006FIFA ワールドカップドイツ 日本代表メンバー(日本代表サッカー倶楽部)
GK 12 土肥 洋一 1973.07.25(32) 184 80 FC東京 4 0
GK 23 川口 能活 1975.08.15(30) 179 78 ジュビロ磐田 85 0
GK 1 楢崎 正剛 1976.04.15(30) 185 76 名古屋グランパスエイト 50 0
DF 2 田中 誠 1975.08.08(30) 178 74 ジュビロ磐田 32 0
DF 24 茂庭 照幸 1981.09.08(24) 181 77 FC東京 8 1
DF 5 宮本 恒靖 1977.02.07(29) 176 72 ガンバ大阪 67 3
DF 14 三都主 アレサンドロ 1977.07.20(28) 178 69 浦和レッドダイヤモンズ 70 5
DF 22 中澤 佑二 1978.02.25(28) 187 78 横浜F・マリノス 48 9
DF 6 中田 浩二 1979.07.09(26) 182 74 バーゼル(スイス) 54 2
DF 19 坪井 慶介 1979.09.16(26) 179 67 浦和レッドダイヤモンズ 31 0
DF 21 加地 亮 1980.01.13(26) 175 67 ガンバ大阪 42 1
DF 3 駒野 友一 1981.07.25(24) 171 71 サンフレッチェ広島 6 0
MF 15 福西 崇史 1976.09.01(29) 181 77 ジュビロ磐田 60 7
MF 7 中田 英寿 1977.01.22(29) 175 72 ボルトン(イングランド) 72 11
MF 10 中村 俊輔 1978.06.24(27) 178 73 セルティック(スコットランド) 58 15
MF 8 小笠原 満男 1979.04.02(27) 173 72 鹿島アントラーズ 50 7
MF 17 稲本 潤一 1979.09.18(26) 181 75 WBA(イングランド) 62 4
MF 18 小野 伸二 1979.09.27(26) 175 74 浦和レッドダイヤモンズ 53 6
MF 4 遠藤 保仁 1980.01.28(26) 177 70 ガンバ大阪 40 3
FW 13 柳沢 敦 1977.05.27(28) 177 73 鹿島アントラーズ 55 17
FW 9 高原 直泰 1979.06.04(26) 180 77 ハンブルガーSV(ドイツ) 40 15
FW 20 玉田 圭司 1980.04.11(26) 173 67 名古屋グランパスエイト 37 7
FW 16 大黒 将志 1980.05.04(26) 177 71 グルノーブル(フランス) 16 5
FW 11 巻 誠一郎 1980.08.07(25) 184 77 ジェフユナイテッド千葉 9 3
キリンカップサッカー2009 ALL FOR 2010!
2010FIFAワールドカップ南アフリカ アジア最終予選
日本代表メンバー(日本サッカー協会)
GK
1 楢﨑 正剛 NARAZAKI Seigo
1976.04.15 187cm 80kg 名古屋グランパス 64/64
18 都築 龍太 TSUZUKI Ryota
1978.04.18 185cm 81kg 浦和レッズ 5/3
23 川島 永嗣 KAWASHIMA Eiji
1983.03.20 185cm 80kg 川崎フロンターレ 3/3
DF
22 中澤 佑二 NAKAZAWA Yuji
1978.02.25 187cm 78kg 横浜F・マリノス 86/16
5 山口 智 YAMAGUCHI Satoshi
1978.04.17 178cm 74kg ガンバ大阪 0/0
4 田中 マルクス 闘莉王 TANAKA Marcus Tulio
1981.04.24 185cm 82kg 浦和レッズ 22/4
3 駒野 友一 KOMANO Yuichi
1981.07.25 172cm 76kg ジュビロ磐田 42/0
20 今野 泰幸 KONNO Yasuyuki
1983.01.25 178cm 73kg FC東京 27/0
15 長友 佑都 NAGATOMO Yuto
1986.09.12 170cm 65kg FC東京 11/1
21 槙野 智章 MAKINO Tomoaki
1987.05.11 182cm 77kg サンフレッチェ広島 0/0
6 内田 篤人 UCHIDA Atsuto
1988.03.27 176cm 62kg 鹿島アントラーズ 19/1
MF
10 中村 俊輔 NAKAMURA Shunsuke
1978.06.24 178cm 70kg セルティック(スコットランド) 84/23
27 橋本 英郎 HASHIMOTO Hideo
1979.05.21 173cm 68kg ガンバ大阪 8/0
7 遠藤 保仁 ENDO Yasuhito
1980.01.28 178cm 75kg ガンバ大阪 76/7
14 中村 憲剛 NAKAMURA Kengo
1980.10.31 175cm 67kg 川崎フロンターレ 32/3
8 松井 大輔 MATSUI Daisuke
1981.05.11 175cm 64kg サンテティエンヌ(フランス) 15/1
2 阿部 勇樹 ABE Yuki
1981.09.06 177cm 77kg 浦和レッズ 33/2
17 長谷部 誠 HASEBE Makoto
1984.01.18 179cm 72kg VfLヴォルフスブルク(ドイツ) 18/0
19 本田 圭佑 HONDA Keisuke
1986.06.13 182cm 74kg VVVフェンロ(オランダ) 2/0
25 香川 真司 KAGAWA Shinji
1989.03.17 172cm 63kg セレッソ大阪 9/2
24 山田 直輝 YAMADA Naoki
1990.07.04 166cm 64kg 浦和レッズ 0/0
FW
11 玉田 圭司 TAMADA Keiji
1980.04.11 173cm 67kg 名古屋グランパス 57/13
16 大久保 嘉人 OKUBO Yoshito
1982.06.09 170cm 73kg VfLヴォルフスブルク(ドイツ) 35/5
12 矢野 貴章 YANO Kisho
1984.04.05 185cm 76kg アルビレックス新潟 12/1
9 岡崎 慎司 OKAZAKI Shinji
1986.04.16 173cm 70kg 清水エスパルス 9/3
13 興梠 慎三 KOROKI Shinzo
1986.07.31 175cm 67kg 鹿島アントラーズ 4/0
W杯ドイツ大会のメンバーから継続して招集されているのは、楢崎、中澤、駒野、中村俊輔、遠藤、玉田の6人。そのうち、遠藤はフィールドプレーヤーで唯一試合に出ることはなかった。
23人のスカッドのうち、6人しか残っていなければ、もう別のチームと言ったほうがいいだろう。ベースがあるというのはどのあたりが根拠になっているのか。インタビュアーにはしっかり突っ込んでもらいたいところだったが、それができないところにジャーナリストとは呼べない弱さがある。
岡田ジャパンの何人かはジーコによって起用された選手。
――岡田ジャパンの試合をご覧になられていますか?
「いくつかの試合は見ている。埼玉でのウズベキスタン戦は見た。ちょうどその時、私はブニョドコルにいたからね。現日本代表の多くの選手は私とともにに戦ってきた選手であり、何人かは私によって発掘された選手だ。よく知っているチームということだよ」
――岡田武史監督や中村俊輔選手らには、どのような印象を持たれていますか?
「私は岡田氏を大変にリスペクトしている。日本にいたころ、よくおしゃべりしたものだよ。彼は聡明な監督であり、また偉大な人物だ。ここまでの結果がすべてを示しているのだから、私が今さら岡田氏についてあれこれ話すこともないだろう。
中村俊輔は選手たちのお手本となる、そして才能あふれた選手だ。私が日本代表監督に就任した時、多くの人が中村を招集することに反対していたことを今でもよく覚えている。中村の才能、重要性を理解している人は少なかった」
現代表の多くの選手といってもわずか6人。ジーコが招集したことがある都築、阿部、今野、大久保、松井大輔らを含めても半分にも満たない。そして、闘莉王、大久保はラフなプレーが目立つと見限って選手であり、松井大輔は本大会には招集しなかった。
ジーコは記憶がないのか、それとも嘘つきなのかだろう。自分を必要以上に過大評価する人間がいるが、この
インタビューを読むと、本当になぜこんなに認識がずれているのだろうと感じる。
彼が岡田さんと話があうのも当然だろう。ふたりの共通点は日本代表に対して明確なビジョンを持たせることができないこと。ワクワク感がないこと、そして守備的なサッカーをすること。結果至上主義者であることも同じだ。
それなら、ドイツでの8分間で自分の仕事が軽視されてはならないというべきではない。ジーコが発掘した選手は皆無といっていい。中村俊輔はトルシエのときの当落線上にいたし、ジーコのときにはレッジーナへ移籍していた。マスコミも中田英寿、中村俊輔、稲本、小野の黄金の中盤ともてはやしたではないか。一体誰が反対していたというのか。
インタビュアーが未熟なせいで、完全な消化不良の記事になったのは残念だが、ジーコが駄目な指導者であり、記憶が非常にあやふやか自己を正当化する人間であることはよくわかった。
あまりにもひどい記事。こういうものも必要なのだろう。そうじゃなければ、日本のサッカーは進歩しないのだろうから。
2 件のコメント:
ジーコが発掘したと言えば、加地ぐらいでしょうかね?
結局、W杯のメンバーで一番若いのは当時24歳だった茂庭と駒野でしたから、
若手を発掘し、育てた印象はあんまりないですね・・・。
日本の監督を務めたとは言え、日本人ではありませんし、
日本のことなど、どうでも良いと思っているのかもしれません。
記者の方は日本人かと思ったら、外国人(ブラジル人!?)のようですね。
>どらぐらさん
加地はジーコのときに使われて、オシムのときに怪我をして離脱ですね。
駒野はいまだにクロスの質がひどくて、代表レベルなのかとは思うのですが、それでもジーコは自分が発掘したというのですかね。
中村にしても、レッジーナにいったから呼んだという気がします。
外国人がインタビューするともっときつくなるはずなのですが、日本のことをあまり知らなかったのでしょうね。
それから、ジーコに対していうままに喋らせて売ったという感じかもしれません。
もし、日本在住で代表のことをよく知っていたとしたら、ファンへの裏切りでしょうね。
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