レフティで、それまでのサッカー人生のほとんどを左足だけで過ごしてきたぼくにとって、軸足を失うことは即サッカーを諦めざるを得ない重大なことだった。
リハビリで右膝に筋肉をつけ、右足も使えるように遅くまで残って練習したが、いつまで経っても右膝がずるりとすべる感触はなくならず、右足の精度はあがったもののレギュラーには戻れなかった。
練習試合で相手のファールにより怪我をしたのだが、そのことで相手を恨む気持ちはない。怪我をしたのはつらかったけれども、ぼくが同じ立場ならボールめがけてタックルをするのは同じだろうし、ぼくは右足でボールをガードする癖があったから右足に入るのは自然なことだ。
ただ、監督はうちが弱小校だったにもかかわらず勝利至上主義で「左足が元通りにならないのなら戦力にはならない」と突き放された。監督がいなくなってから仲がよかった先輩に練習を見てもらうことの楽しさ、そして、監督に「無駄なことはやめろ」と言われるつらさがあり、夜も寝られない日々もあった。
手紙~拝啓 十五の君へ | |
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ぼくは未来に向けて手紙を書いたことがあり、怪我をする以前につくば科学万博で自分に手紙を出している。
サッカーにプロがあることも知らず、大学までやれば頭打ちと思っていた時代で、日本代表も強くなかった。
三浦知良がブラジルに留学するよりもキャプテン翼の連載が始まるよりも前の話。
オリンピックを経験しているでしょうか。世界は強かったですか。メダルは取れましたか。
土のグラウンドでしか練習ができず、今のようにサッカー専用のグラウンドが当たり前のようにあったり、テレビで海外のサッカーの試合や日本代表の試合が当たり前のようにあった時代とも違う。Jリーグもなく、W杯がある4年に1回にサッカーが話題になる程度。オリンピックのほうが現実的だった。
中学時代にずっとメキシコ五輪の釜本と杉山と八重樫の話を聞き、そして無事是名馬じゃなくてはサッカー選手として大成しなかったと言われた時代。
今でも怪我をしたためにプレーヤーとしての将来を諦めざるを得なくなった少年たちは多いはず。
日本代表の選手、Jリーグの選手たちは彼らの夢を背負っているだろうか。諦めざるを得なかった夢の分まで走ってくれているだろうか。そう思うと、物足りない気がするのだ。
アンジェラ・アキの手紙を聞くたびに思う。
怪我をして、年齢的には現役復帰は無理という自分が、怪我をしたときの自分にどう言葉をかければいいのだろうって。
今の日本は昔に比べれば強くなりました。サッカーを巡る環境もよくなりました。だけど、君がやっていたようには走っていないのです。
そう書けるだろうか。
負けるのはかまわない。どんなチームだって負けるのだから。
だけど、何も見えないままに負けるのはつらいのだ。
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