2008年8月11日月曜日

北京五輪、グループステージダウンを受けて

Beijing 2008 Football First Round - Group B U-23 Nigeria 2-1 U-23 Japan @ TJ Olympic Center Stadium
U-23 Nigeria:Obinna 58,Anichebe 74
U-23 Japan:Toyoda 79

サッカーは他のスポーツに比べて格段にアップセットが起こりやすい。弱者の戦術はあるし、頭を使えば無数のタクティクスを生み出すことができる。日本人が好きな正々堂々のスタイルで戦わなくても、世界では誰も文句は言わない。いや、あまりにも守備的で退屈というかもしれないが、それさえ勝利を得れば褒め言葉になる。だが、日本はその勝利を手につかむことができなかった。

試合内容は押している部分もあった。ゴールを奪う決定機もあった。だが、チャンスを生かしてゴールに結びつけたのはたった1回。ショッツオンゴールは11もあったのに、ネットをゆらしたのは1回だけだった。

一方のナイジェリアはショッツオンゴールが6。そのうち2本を決めて日本との戦いを制した。

最低限勝ち点1が必要なゲームでその結果すら残せなかったことになる。

日本は追いつめられると神風の後押しもあって、信じられないような力を発揮すると思われてきた。

だが、そういう精神的な部分だけでは勝負にならないということを今回の北京五輪で思いしらされたと言っていい。個人の力で頑張るだけではどうにもならない世界との壁があることがわかったのではないか。

惜敗とかいいゲームをしたとか。そういうレベルではなくて、敗者には何もやるな、パンの耳すら手に入れることができないという弱肉強食のシステムに組み込まれていることがわかったのではないか。

相変わらず、メディアはどんな競技でもメダル、メダルと煽り、メダルきちがいぶりを発揮しているが、それは本当に相手との力関係を分析した上でのことなのか。どんな競技でもスカウティングは大事だし、そのスカウティングをもとに弱点をさぐり、そこを徹底的につくことで勝利の確率を高めていくのは同じはず。

純粋に個人の能力で決まる水泳や陸上はともかく(ウェアやスパイクで違うならそこは揃えるべきではあるが)、サッカーのように突出した個人の能力だけでは決まらない競技では、自分たちのプレーをするというだけでは勝てないことがわかっていたはずだ。当然、相手があるのであり、自分たちのスタイルだけで戦うことはむずかしい。例えば、左サイドで勝てるなら左サイドを制してチャンスを作るためにどうするかを監督に指示されるだけではなくて、全員が考えられるようにならなければ通用しない。

スペシャルプレーは重要ではあるけれども、一度見せてしまうともう使えない。そして、決まらなければただのいいプレーということになってしまう。

日本に足りなかったのは徹底して相手の弱点をついて、勝利を得るという勝利への執念と意地汚さではなかったか。

ナイジェリア戦後 反町監督会見
北京五輪 グループリーグ第2戦
(スポーツナビ)

――結果は紙一重だったが、その差はどこにあるか?

 紙一重だと言ってもらえるのは、評価してもらっているからでしょうか。走るスピード、技術的判断のスピードが違う。細かいが、そういった積み重ねが、1点差の中に凝縮されていると思う。


メディアと反町さんとの意識には相当な差がありそう。メディアは惜敗という流れに持っていきたいのだろうが、反町さんは指揮官としてレベルの差があることを感じ取っていたのだろう。1点差だが、大きな差があったということをコメントしている。それをメディアはどう伝えるか。

そして、この短い会見の中で反町さんが言ったことをどうファンは受け止めるか。

限界ゆえの“終戦”
日本 1-2 ナイジェリア
(スポーツナビ)

そうして、いくつかの決定機を逃すと、前半25分からは早くも日本はジリ貧に陥る。まだ相手にリードを許したわけではないのに、気が焦り、リズムが狂う、そんな悪循環が日本をむしばんだ。前半41分、敵陣中央でボールを持った本田圭佑(VVV/オランダ)が右前方へパスを送った場面では、フラストレーションが明白な形で示された。スペースへ走り出した本田拓とコンビネーションが合わず、本田圭は両手を大きく広げて「なぜ、そこに走らないんだ」とアピール。しかし、同時に左サイドを上がっていた安田理大(G大阪)も「なぜ、こっちへパスを出さないんだ」とジェスチャーで訴えている。初戦に敗れたことで前面に押し出された闘志は、悲しくも空回りしてしまった。


限界という言葉は使いたくない。それは天井を認めることだ。このチームには伸びしろはあったと思う。

ただ、そこまでの強化は進まなかった。もちろん、もう少し何とかすれば勝てたのにというのは幻想だ。全員が高い意識をもち、そしてゴールを守るために、勝つために何をすべきかというところで共通した意識を持っていなければチームは機能しない。練習だけではわからないこともたくさんある。何回もミーティングで注意されても、1回の試合でしか気づけないこともあるのだ。

メディアの決定力不足という言葉を受けて、反町さんは決定力不足ならチャンスを多くしようという方向にシフトしていた。そのためにスペシャルプレーを用意していたし、ゴールチャンスは何度もあった。

それでもゴールはわずかに1。勝ち点3を奪うまでにはいかなかった。

メディアが40年ぶりのメダルと騒ぎ立てるたびに、本当に相手との戦力比較をやって口にしているのかと考えさせられる。負けると残念でしたというけれども、その残念でしたというコメンテーターの言葉が国民の期待を背負っていますという気負いが見えてイヤになることがある。なんて傲岸不遜なのだろう。

選手はイヤでもメディアが要求するコメントを言わなければならない。

本当に強欲資本主義の反省がなければ、メディアの暴走は終わらないのかもしれない。

サッカーが弱いのはそれだけではないけれども。全敗のほうがましかもしれないとは書いたけれども、やっぱり勝ち点0というのはやるせない。本気のオランダをぐらつかせることさえできれば、少しはましなのだろうけれどもね。

2 件のコメント:

King-Y さんのコメント...

いずれにしても早々とグループリーグ敗退決定。結果的に3強1弱になり、最終戦も必ずしも消化試合にならなくなりました。(オランダ、アメリカ、ナイジェリアで争うため、日本も適当な結果は残せません)
このチームを引っ張る選手、例えるならリーダーシップを取れるオーバーエージ選手がいなかったのもこの結果の原因かもしれません。

kiri220 さんのコメント...

>king-yさん

最終戦は本気のオランダと戦えるということだけが収穫かもしれませんね。
スポーツライターの中には反町さんの思い出つくりと書いていたりしましたけど。
例えば、オーバーエイジで誰がいたらということを考えたのですが、アテネで小野のポジショニングがおかしかったために2戦で終了したこともあり、それだけではないような気がします。
直近の世界規模の大会で日本がグループステージを突破したのはカナダのU-20 World Cupですが、彼らがなぜ世界に通用したのかということを考えることは必要でしょうね。