日本サッカー協会の小倉純二会長(71)が10日、次期日本代表監督への就任が決定的となっているビクトル・フェルナンデス氏(49=スペイン)との交渉が最終段階に入っていることを認めた。すでに本人とは基本合意に達していることを示唆。そのうえで、フェルナンデス氏が推薦しているコーチ陣との交渉を残すのみの状態となっていることを明らかにした。
日本代表の新監督候補との交渉状況について聞かれた小倉会長は、フェルナンデス氏の名前こそ明言しなかったものの、「何をもって基本合意とするかだよ」と遠回しに基本合意に達していることを認めた。そのうえで「もう詰めに入っている」と交渉が最終局面を迎えていることを明らかにした。
残る交渉については「向こう(新監督)も一人で来るわけじゃない。いろいろ仲間を募らないと契約だってできないわけだから」と、フェルナンデス氏が要求しているとみられるサラゴサ、ポルト時代の右腕でもあったホセルイス・アルフォル・フィジカルコーチらコーチ人事の部分で詰めの作業を残していることを明言。さらに「自分の気に入っている人を連れてくるわけだから、その人の承諾も得ないといけない。その人が仲間を説得しなきゃいけない」と続け、コーチ陣が日本行きを承諾し次第、正式に契約を結ぶ運びとなる見通しを示した。
この日、福島・Jヴィレッジで行われた全日本女子ユース(U―15)選手権を視察した大仁邦彌副会長(65)も交渉の状況に関して「難しいというより、いろいろ話を詰めていかなきゃいけない段階。いい方に考えている」と前向き発言。正式発表のめどについても「15日か、できたらその辺までにはやりたいと思っています」と当初の予定通り15日に行いたい意向を示した。
10日付のスペイン地元紙エル・ペリオディコによると、フェルナンデス氏の担当弁護士のフリオ・ベルトラン氏も「日本協会関係者からコンタクトはあった」と水面下で接触していたことを認めている。フェルナンデス氏は11日に行われるメキシコ―スペイン戦を観戦するためにメキシコシティーに滞在中で、日本協会との交渉については「接触はあった」とだけ答えた。交渉は一時中断しているが、フェルナンデス氏がスペインに戻るのを待って最後の交渉を行う予定だ。コーチ人事など細かい条件面の問題がクリアになり次第、仮契約を結び、来日後に正式契約を結ぶことになる。
◆ビクトル・フェルナンデス 1960年11月28日、スペイン・サラゴサ生まれの49歳。サラゴサの下部組織で指導者としてのキャリアをスタート。90年サラゴサのトップチームの監督に就任すると、94年にスペイン国王杯、95年に欧州カップウィナーズ杯で優勝。その後、テネリフェ、セルタ、ベティス、ポルトを指揮。セルタでは00年にインタートト杯優勝。04年にポルトでトヨタ杯優勝と数々のタイトルを獲得した。06年からサラゴサへ復帰も2シーズンで解任。10年1月に2部ベティスの監督に就任したが、昇格を逃して契約満了のため昨季限りで退任した。
Víctor Fernández(Wikipedia)
Teams managed
1990-1991 Deportivo Aragón
1991-1996 Real Zaragoza
1997 CD Tenerife
1998-2002 Celta Vigo
2002-2004 Real Betis
2004-2005 FC Porto
2006-2008 Real Zaragoza
2010 Real Betis
ビクトル・フェルナンデスは攻撃的でスペイン国民好みのサッカーを展開する指揮官だが、チームがいい時期が長く続かないということは日本ではあまり報道されていない。
第1期のサラゴサ政権こそ長期だったが、テネリフェは途中解任、セルタ、ベティスで盛り返すものの、ポルトではトヨタカップをとっただけで成績不振、第2期サラゴサ政権も2シーズン目に崩壊している。好不調の波が大きく、アイマールとダレッサンドロの共存も1シーズンだけで、ふたりの不仲をまとめきれなかったということもある。
日本サッカー協会はもちろん、ネガティブな情報も含めて精査しているのだろうとは思うが、原技術委員長の主導で何も知らないままというのなら大変なことになる。
まずお願いするというかたちではなく、面接をしてビジョンを聞いてからというのでも遅くはないのではないか。
フレンドリーマッチなど代行監督で十分なのだし、公式戦はアジアカップまでない。ゆっくり選ぶということも必要だろう。
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