2011年1月30日日曜日

アジアカップ優勝の日本代表、収穫と課題!!

AFC Asian Cup 2011 Qatar Final Australia 0-1(a.e.t) Japan @ Khalifa International Stadium
Lee Tadanari 108

オーストラリア戦後 ザッケローニ監督会見 (1/2)
AFCアジアカップ2011
(Sportnavi)

結果には非常に満足している。望んでいた結果だったからだ。今日の試合直前のテクニカルミーティングで、選手たちには合宿初日にわたしが言ったことを(あらためて)伝えた。この大会では、成長しながら優勝を目指そうと言ったのだが、もうそこまで(タイトルは)来ているのだから勝とうと話した。このチームは若くて、経験を積みに来たわけだが、若いから勝てないというわけではないし、大会中はみんなよくやってくれた。ここまでたどり着くまでが大変だった。リードされながらの戦いが続いたし、10人での戦いを(強いられながら)引き分けでなく勝ち切った。それはやはり、ベンチも含めたメンバーの力が非常に大きい。やはりチーム力で勝ち切ってきたような印象を持っている。

今日の李のゴールも、このチームの力を象徴していた。細貝、岡崎、伊野波ら、後から入った選手がゴールを決めたり活躍してくれたが、決勝でも(誰かが)やってくれるだろうと思っていた。心から選手を褒めたいと思う。今大会、すべての試合で全力を出し切った。この決勝に来るまでに、かなりのエネルギーを使ってきた。消耗が激しかった。大会前から、フィジカルコンディションのばらつきなどがあり苦労をしたが、選手たちがこの大会で成長しながら、団結しながら勝つことができたのは素晴らしいことだと思う。最後に、オーストラリアは非常にレベルが高く、素晴らしいチームだという印象を受けた。


メンバー選考に疑問が残ったが、結果的に優勝。結果には逆らえない。ザッケローニはアジアで優勝できるメンバーを選び、采配を振るったということか。すなおにおめでとうと言いたい。若手が多数起用されており、グループリーグの苦戦からファイナルまで勝ちきるのは難しいと予想していたが、1試合1試合成長したのは間違いなく。彼らはザッケローニの戦術理論を理解して栄冠を勝ち取った。カルチョの国から見れば、まだまだ物足りないが前に進まなければ目的地にたどり着けない。勝利は大きな自信になり、日本代表はさらに成長するだろう。

――後半11分の交代(藤本アウト/岩政イン)で長友を前に出した意図と、その5分前に岩政を一度出そうとしていったん止めた理由について教えてほしい(大住良之/フリーランス)

交代については、中盤を厚くすることをまず考えた。なかなか中盤でゲームが作れていない印象があったからだ。藤本は今日も良かったが、1カ月くらい試合から遠ざかっており、試合勘を欠いていたのかもしれない。チョイスとしては今野をアンカーの位置に置くことを考えたが、彼は(今大会ずっと)センターバックでやってきていて、中盤のラインに入るのはちょっと(不安がある)ということで(左)サイドバックに入れようと。そして長友を1つ前にずらすことにした。長友はあのポジションもできるし、スピードもある。システムの変更はしなかった。そこでもし、FWやMFの選手を外してDFを入れた場合、受け身に入るという意図を相手に与えてしまうし、選手もそういう気持ちになってしまうので、4-2-3-1のままでいった。

今野を中盤に入れようと思った理由は、ボール奪取能力が高いこと。そこでボールを奪って、切り替えを早く攻撃が展開できること。長友に関しても、サイドバックでプレーしながらも、かなり中のスペースに入れていたので(前に上げれば)いいと判断した。

――GK川島は日本のメディアに批判されながらも、準決勝でPK戦を制し、今日も何度かビッグセーブを見せた。そのことについてコメントを(外国人記者)

川島が日本のメディアから批判されていたことは、正直知らなかった。わたしはまだ日本語が読めないので。川島についてはワールドカップ(W杯)でも素晴らしい活躍を見せているし、彼だけではなく、チームには3人の素晴らしいGKがいる。2人(川島と西川のプレー)は今大会で見てもらえたし、3人目の権田は非常に将来性のあるGKだ。わたし自身はあまりGKを替えるのは好きではない。ミスが目立つポジションなので、失点すれば批判されやすいが、わたしは(すぐに替えることを)好まない。

川島は、この間(の韓国戦)もずっと落ち着いていたし、わたしの信頼を一身に受けているから冷静でいられるのだと思う。現在プレーしているチームでは、チーム事情がいろいろあって大変だが、よくやっていると思っている。彼の準決勝、決勝の活躍によって、メディアの批判を払しょくできたことについては、非常にうれしい。今日の試合についても、フィジカルの強いオーストラリアが相手ということでGKの仕事は多かったが、本当によくやってくれたと思っている。


ザックはサイドの選手が少ない欠点をフルバックの選手を1枚あげることで解決した。今までの日本代表監督になかった発想で、結果的に長友の突破が決勝点に結びついた。韓国戦で押し込まれた5バックではなく、今野をずらすことで同じシステムを保ち、サイドアタックを封じたことでオーストラリアは単調なロングボール戦術に頼らざるを得なかった。一発でも脅威でケイヒル、キューウェルに決定機を何度も作られたが川島を中心によく守り、今大会2回目のクリーンシートを記録した。ともに13ゴールで大会最多ゴールチーム同士のファイナルにふさわしく攻め合いだったが、両チームは守備でも大会集中力を見せた。

――前半、オーストラリアの両サイドバック、特に右のウィルクシャーに随分やられていた。後半は選手交代などでうまく対応していたが、交代前と後の対策はどのようなものだったのか?(後藤健生/フリーランス)

質問に答える前に、この場を借りてけがのためにチームを離れた選手たちにも感謝したい。具体的に名前を挙げると、槙野、酒井、松井、香川。彼らの力も今大会の優勝に貢献してくれたと思っている。また出場機会を与えることができなかった2人の選手、森脇と権田。彼らも素晴らしいチームスピリットで参加してくれた。ありがとうと伝えたい。

質問の答えだが、確かに交代の後に良くなったと思っている。(交代の理由は)前半の推進力が足りていなかったことだ。これは前線ではなく中盤の問題だ。中盤で何かをしないとと考えていた。先ほども言った通り、今野をアンカーに置いて、遠藤と長谷部を少しずらして前に置くことで、もう少し主導権が握れるのではないかと考えたが、結局はシステムを変えずに長友を1つ前に置くというチョイスをした。

ちょうど交代をしたころから、オーストラリア(のライン)が間延びし始めた。ちょっとサプライズだったのは、オーストラリアが非常にコンパクトに絞って、いいサッカーをしていたことだ。オジェック監督が試合前の会見で「アグレッシブにやる」とコメントしていたが、アグレッシブにやるためにはコンパクトにまとめなければならない。それをチームとして表現していたという意味で、オーストラリアは素晴らしかったと思う。


ミックスゾーンで離脱した槙野、酒井、松井香川、そして、出場機会のなかった森脇、権田の名前を出し、褒めて感謝を伝えることは非常に難しい。監督として超一流とはいえないが、人間としてすばらしい。選手はピッチに出られなくても優勝メンバーのひとりと実感できたのではないか。

今大会、ザックの選手交代はほぼ当たってきた。ほころびを見せ始めたところをうまく埋めるのはさすがにカルチョの国の監督で、オーストラリア戦でもぶれなかった。ぶれれば選手に伝わるだけに、選手をピッチに専念させたことは素晴らしいと言える。選手のユーティリティも試せたことでこのメンバー+若手の競争でブラジルへ向かうのではないか。遠藤の去就は微妙だが。

――2つ質問がある。まず、今日の勝利をどう分析するか? 大きな勝利だったと思うが、自身のキャリアにどうランクされるのか? そしてアジアカップの初日と最終日を比較して、どのように違いを感じているか?(外国人記者)

今日のゲームと準決勝までのゲームは、2つに分けて考える必要がある。決勝というものは、たった1つのゲームとして考える。それ以前の試合の話をすると、たくさんのゴールチャンスを作り、プレースピードも正確かつ効果的なボール回しを特長とするチームとして成長してきた。

今日の決勝に臨むにあたって、フィジカルで(選手は)ギリギリだった。韓国戦から、本田圭、遠藤、長谷部は昨日一度しか全体練習に合流できていない。岡崎はトレーニングすらできなかった。ほとんど歩いてもいないような状態で決勝に臨んだ。長友も韓国戦で足を踏まれて、思うようにトレーニングができなかった。レギュラー陣が満足な調整ができないまま、今日の決勝に臨まなけれならなかった。(そんな状況で)フィジカルが非常に強くて、パーソナリティーが非常にあり、タスク面でも優れたオーストラリアと戦わなければならなかった。初戦から準決勝までを1つと考え、今日の決勝は「もう1つのストーリー」と考えるべきだと思う。準決勝までの戦いは、非常に成長してきたが、今日の試合に関しては自分たちの力以上のものを出し切ったと思っている。

この勝利を(キャリアの)どこに置くかということだが、セリエD以外では全部優勝してきた。個人的には、インターナショナルマッチでのタイトルがなかった。今回はそのレベルでの勝利になる。今回、日本代表の監督に就任して、これほど素晴らしい選手たちの監督としてチームを率いることができて、本当に誇りに思っている。


ザッケローニは最後まで選手を全面に出して、自らの功を誇らなかった。イタリア時代も同じだったが謙虚な姿勢は評価できる。ユベントス時代にも柔軟性を見せたが結果を残すことができず、終わった監督と見られていたが、アジアレベルでトップクラスと証明した。インターナショナルマッチのタイトル制覇におめでとうと贈りたい。ザックに疑問もあったが、アジアカップ優勝、そして、コンフェデレーションズカップ出場権獲得は素晴らしい結果だと思う。もちろん、選手もすばらしく、ファイトを全面に押し出してくれた。

■オーストラリア代表オジェック監督

「失点シーンは唯一のポジションミスだった」

素晴らしい2チームによる、非常にエキサイティングなゲームだった。それだけに、この結果についてはとても残念に思う。われわれは多くの得点チャンスを作ることができたが、それ以上に重要なのがしっかりゴールを決めることだった。もっとフィニッシュの精度を高めなければ、ゲームに勝利することができない。それでも選手たちのパフォーマンスについては誇りに思っている。

(日本の決勝点については)ディフェンス陣に疲れもあったのだろう。われわれは厳しい6試合を戦い、そのうちの2試合は延長戦だった。(失点シーンは)われわれの唯一のポジションミスだったのかもしれない。日本には「おめでとう」と申し上げたい。日本は韓国と同様、若いタレントが出てきており、チームの世代交代を進めながら素晴らしい成果を挙げたと思う。


オジェックは元浦和の監督で、日本についての知識があった。一方のザッケローニはイタリア流の綿密なスカウティングをする。両者の激突はすばらしい試合となった。0-1のスコアは両者を分けたのがわずかな差だった証拠だろう。オーストラリアはファイトを全面に出して戦ったし、日本も負けていなかった。

決勝点の場面で李忠成がフリーになったが、オーストラリアにすれば悔やまれる場面ではないか。キューウェルが決めていればとも思うが。

韓国の監督もオーストラリアの監督も日本に対する賞賛を忘れなかった。ザッケローニも相手に対するリスペクトをきとんと持っていた。アジアのトップの監督が素晴らしい人物であることを嬉しく思う。



アジアカップの終わりに (1/2)
日々是亜洲杯2011(1月29日)
(Sportnavi)

「現時点で、日本はアジアのナンバーワンと言えるのではないか? というのも、オーストラリアは地理的にアジアとは思えないのだが」

韓国との準決勝後の監督会見で、ザッケローニ監督にこのような質問が飛んだ。質問したのはイタリア人の記者だ(今大会では、アジア以外のジャーナリストも少なからず取材に訪れている)。日本語に翻訳されると、多くの同業者の間から失笑がもれた。私も「それを言っちゃあ」と苦笑い。だが、実際に日本のファイナルの相手がオーストラリアに決まると、先のイタリア人の質問は意外と核心を突いているような気がしてきた。確かに、アジアの頂点を争う舞台にオーストラリアがいるのは、はたから見れば不思議な感覚であろう。このところ日本では、アジアカップの注目度が急上昇しているそうだが、普段サッカーを見ていない人から「ねえ、何でオーストラリアがアジアにいるの?」と質問されて辟易(へきえき)しているサッカーファンも少なくないと思う。

純然たるオセアニアの大国、オーストラリアが晴れてAFC(アジアサッカー連盟)への転籍を果たしたのは2006年1月1日のこと。ただしOFC(オセアニアサッカー連盟)を脱退したのは、前年の4月のことであった。驚くべきことに彼らは、8カ月もの間「無所属」の状態だったのである。その間にもワールドカップ(W杯)オセアニア予選を戦っているし、06年W杯には「OFC代表」として出場している(だから日本とグループリーグで同組になった)。そのくせ2022年W杯招致の際には「オセアニア初のW杯開催」をアピールしていた。まさに典型的なダブルスタンダード。思うに、かの国の人々は「アジア人」としての自覚が、決定的に欠落しているのだと思う。もしかすると彼ら自身も「なぜサッカールー(オーストラリア代表の愛称)は中東の大会に出場しているの?」と不思議に思っているのかもしれない。

さて、日豪の対戦は過去18回あるが、「アジアの国同士」としての対戦は4年前のアジアカップ準々決勝を含めて3試合しかない。それまではずっと「他大陸同士」の関係であり、2度「大陸チャンピオン同士」として対戦している(01年のコンフェデレーションズカップとAFC/OFCチャレンジカップ)。そんなわけでこの決勝は、事実上の「大陸王者同士の対戦」であり、かつ「アジアカップのオセアニア流出阻止」という大義名分も、十分に成り立つように思う。実際、決勝のスタンドには、さまざまなアジアの人々が詰め掛けていたが(その大半は当地で働く出稼ぎ労働者だ)、彼らはオーストラリアよりも日本に大声援を送っていた。この日の日本はまさに、アジアの期待を一身に集めていたのである。


完全アウェイの雰囲気で戦ったクォーターファイナルのカタール戦に比べれば、ファイナルは日本びいきだった。日本応援団だけではなく、地元ファンは日本を応援してくれた。親日という理由ではなく、オーストラリアより日本に親近感を感じていたとしたらうなずける。それ以上にファイナルは素晴らしい試合だったし、エンターテイメントとしても最高だった。日本の勝利で劇的に幕を閉じたが、32試合はファンタスティックな記憶をカタールの地に刻んだ。アジアカップは終了するが、今度はブラジルに向けて戦いが始まる。アジアは強敵だらけとわかったことは収穫だった。

日本のスターティングイレブンは、以下の通り。GK川島永嗣。DFは右から、内田篤人、吉田麻也、今野泰幸、長友佑都。守備的MFは長谷部誠、遠藤保仁。2列目は藤本淳吾、本田圭佑、岡崎慎司。そしてワントップは前田遼一。メンバーも予想どおりなら、相手がロングボールを蹴り込んでくることも予想どおり。その一方で、いくつかの誤算もあった。まず、日本の動きにいつものようなキレが感じられなかったこと。また、香川に代わって出場した藤本が、ほとんど存在感を示せなかったこと。そして「オーストラリアが非常にコンパクトに絞って、いいサッカーをしていたこと」(ザッケローニ監督)

このため前半は、相手に攻め込まれる苦しい展開が続いた。とりわけ日本に脅威を与えていたのは、右サイドバックのウィルクシャーだ。さながら艦砲射撃のようにロングボールを放ち、これに前線のケーヒルとキューウェルが高さで勝負する。ピンチのたびに川島が神懸かりのセーブを見せるが、やはりリスクの元を断たなければ失点は時間の問題である。ザッケローニの出した結論は「中盤を厚く」すること。そのため指揮官は、今野をアンカーの位置に押し出すことをまず考えたが、結局はシステムと中盤の並びをそのままに、人だけを入れ替える決断を下す。後半11分、藤本アウトで岩政大樹がイン。岩政がセンターバックに入り、今野が左サイドバックに、長友が1列前の左MFに、それぞれスライドする。吉田と岩政のセンターバックコンビは、今大会初。しかも2人とも足は決して速くはない。それらのリスクを冒してでも、指揮官は中盤の厚みを重視した。

結局、90分間で切ったカードはこの1枚のみ。その間にも、オーストラリアの猛攻は続き、日本は自陣で耐え忍ぶ時間帯が続いた。そして試合は延長戦に突入。日本にとって、2試合連続の120分ゲームは、肉体的にも精神的にも相当にこたえたはずだ。延長前半8分、ベンチは疲労の濃い前田を下げて李忠成を投入。初陣となったヨルダン戦では、1本のシュートも打てなかった李。それでも「自分がヒーローになる、という思いで臨んだ」というコメントからは、内心期するものがあったことがうかがえる。

その瞬間が訪れたのは、延長後半4分。遠藤の縦パスを受けた長友が、左サイドを駆け上がってきれいに折り返し、これをフリーで待ち構えていた李が、目の覚めるようなボレーを見舞う。今大会初となる李のシュートは、一直線でシュワルツァーが死守してきたゴールを突き破った。劣勢を強いられていた日本が、ついに先制。日本はその後、内田に代えて伊野波雅彦をピッチに送り、いよいよ逃げ切り態勢に入る。先の韓国戦では、終了間際に同点ゴールを許した日本だったが、この日は最後までディフェンスの集中力が途切れることはなかった。最後のセットプレーのピンチもしっかりはね返し、直後にタイムアップ。この瞬間、日本の2大会ぶり4回目となるアジアカップ優勝が決した。


W杯ドイツ大会前に見られたオーストラリアに楽勝といった意見はほとんどない。サッカーファンはオーストラリアが強豪の一角であり、世界でも通じるレベルだと知っている。彼らのほとんどはヨーロッパでプレーする選手であり、日本にとっては立ちはだかる脅威の壁だった。

実際苦しいゲームで、日本は何度もピンチを切りぬけてきた。川島のビッグセーブがなければ3点とられていてもおかしくなかった。選手たちは集中力をもってケイヒルとキューウェルを押さえ、ミスもあったがカバーして120分をクリーンシートで終えた。

満足に体が動かない疲労を抱えながら、日本はアジアカップの頂点に立った。ザッケローニと選手たちにおめでとうと言いたい。

試合後、会場にはJAM Project(ジャム・プロジェクト)の『VICTORY』が流れた。ドーハで聴く日本語のアニメソングは、実に奇妙な爽快感を与えてくれる。ともあれ日本は、7年ぶりに優勝トロフィーを祖国に持ち帰ることとなった。ただしこの快挙には、さまざまな意義が含まれていることを強調しておきたい。まず、日本の4回目の優勝は、サウジやイラン(いずれも3回)を抜いて最多となった。そして、2年後にブラジルで開催されるコンフェデレーションズカップに、日本は「AFC代表」として出場する権利を得た。それからもうひとつ、ロングボールばかりを多用するオーストラリアに、アジアの覇権を渡さずに済んで本当に良かったと、個人的には深く安堵(あんど)している。4年後のアジアカップでホスト国となるオーストラリアは、今大会が終われば大きな世代交代を迎えるはずだ。この次に対戦するときには、彼らはどんなサッカーを志向しているだろうか。

もっともこの日の決勝は、完全に相手のサッカーに押し切られてしまい、日本らしさをほとんど出せなかったことは認めなくてはなるまい。ポゼッションこそ上回っていたものの(日58、豪42)、シュート数は日本9(枠内3)に対してオーストラリア20(同8)。とりわけキューウェルには、実に8本ものシュートを許していた。いかに川島のファインセーブに助けられていたか、これらの数字からも容易に理解できる。日本は李のゴールで勝つことができたわけだが、川島のおかげで負けずに済んだとも言えよう。

結局のところ、決勝のオーストラリア戦にしても、準決勝の韓国戦にしても「どちらに転んでもおかしくない」試合内容だった。またそれ以前の戦いも、思わぬリードを許したり、退場者が出て10人になったり、次から次へとアクシデントに見舞われた。しかし、そのたびにチームは驚異的な反発力を発揮し、日替わりでヒーローが出現しては劇的な勝利を収めていった。今大会の日本の勝因を3つ挙げるなら、スタメンもベンチも関係なく一丸となっていたこと、試合を重ねるごとに選手のコンディションとコンビネーションが高まっていったこと、そしてザッケローニの人心掌握とさい配が随所で光っていたこと、である。もちろん「サッカーの質」という意味での成長は、まだまだこれからといったところだ。それでも、今大会で経験したさまざま試練と成功は、多くの教訓と経験値を個々の選手にもたらしたはずだ。その意味で若き日本代表は、十分に成長したと言える。


結果的に勝利したものの、日本代表のサッカーは内容をともなっていたものではなかった。世界を驚かせるレベルにはたっしていない。負けないサッカーになっただけだ。戦術的なことは休息をとってじっくりチームを作ってからだろう。夏にはコパ・アメリカもある。力試しの場は用意されているわけでザッケローニは進化を見せなければなければならない。チームの修正に成功したが、まだ内容をともなうまでにはなっていないからだ。

しかし一方で、忘れてならない問題もある。それは言うまでもなく、今大会に臨むにあたって、ザッケローニと選手たちに極めて苛酷なスケジュールを強いたという事実だ。「大会を通してコンディションを上げていく」というのは、言葉で言うほど簡単ではなかったはずだ。そもそも、本来オフであるはずの選手を酷使したツケは、必ずどこかで精算を求められるだろう。実際、ザッケローニも「今日の決勝に臨むにあたって、フィジカルで(選手は)ギリギリだった。(中略)今日の試合に関して、自分たちの力以上のものを出し切ったと思っている」と語っている。日本だけではどうにもならない話とはいえ、選手に必要以上の負担を強いるアジアの日程問題は、今後も積極的に精査・議論されるべきである。少なくとも「頑張って優勝した」という美談に埋もれさせてはいけない。


日程は本当にタイトだった。日本代表は天皇杯が終わってからわずか一週間でカタール入り。オフも満足に取れないままに日本は本大会に臨むこととなった。通常、コンペティションが終わってから2週間の休みは必要だが、日本は十分に準備できなかった。フィジカルの問題はいっても仕方がないことだが、日本サッカー協会アジアサッカー連盟は考える必要がある。

かくして、カタールで23日間にわたって繰り広げられてきたアジアカップの熱戦は、私たちにとって最高の大団円を迎えることと相成った。当連載を締めくくるにあたり、最後に「アジアカップの未来」について言及しておきたい。既述のとおり、次回大会は4年後、オーストラリアで開催されることが決まっている。その次のアジアカップは、ぜひとも日本で開催してもらいたい――そう、私は密かに夢見ている。

次々回大会を日本で開催するだけの下地は、十分にそろっていると言えよう。東南アジア4カ国(07年)、カタール(11年)、そしてオーストラリア(15年)とくれば、次は間違いなく東アジアだ。日本はすでに1992年に開催実績があるが、現時点でも19年が経過しているし、あの時は広島だけの開催だった。W杯招致のように「早すぎる」と批判を受けることもない。そして今大会を通じて、日本国民の間にも代表が参加する国際大会は「W杯だけではない」ことが広く認識されただろうし、W杯とは違った魅力も十分に伝わったと思う。「日本でアジアカップを!」という呼びかけに対して、国民的なコンセンサスを得るのは、さほど難しい話ではないように思える。

運営と競技施設については、まったく心配はいらないだろう。特に後者については、W杯のように巨大スタジアムを新設する必要はまったくなく、既存のもの(それも2万人程度のキャパ)で十分に対応できる。開催都市は基本4会場だから、たとえば仙台のユアスタ、東京の国立、大阪の長居、そして鳥栖のベアスタあたりを準備すれば十分だろう。会場選定については、アクセスが良いこと、規模が大きすぎないこと、そしてできればサッカー専用であることが望ましい。また余談ながら、アジアの玄関口である九州は、絶対に外せない開催都市であると考える。

さて、ここで重要なのが開催年である。私は8年後ではなく、9年後の20年を想定している。つまりW杯の中間年に戻すのだ。この件については、すでに小倉純二JFA(日本サッカー協会)会長も発言しているが、アジアカップのW杯翌年開催は、アジアのナショナルチームに負担を強いるばかりで、ほとんどメリットがないことが明白となった。であるなら、ここは日本がホスト国となり、アジアカップ開催年を元に戻すためのキャンペーンを張るのが一番の近道だ。と同時に、中東に移ったAFC内の主導権を再びイーブンに戻す契機にもなろう。いずれにせよ、20年のアジアカップ日本開催が成功すれば、事はサッカーだけの話にはとどまらず、アジアの国々の視線を再び極東に振り向ける好機にもなるはずだ。JFAの皆さんには、ぜひ真剣に検討していただきたい。サッカーの国際イベントは、何もW杯だけではない。アジアカップという素晴らしい大会もあるのだから。


オリンピックイヤーと重なることで前倒しされたアジアカップをW杯の中間年に戻すことには賛成だ。もちろん、クリアすべき問題はいくらもあるだろうが、日本はアジアでイニシアティブをとり、サッカー向上のために頑張ることは重要だろう。そのためにはレギュレーションを見落として失態を犯すなどあってはならない。スタッフは人気に胡座をかくのではなく、レベルアップを目指して日々勉強をすべきと考える。

2 件のコメント:

どらぐら さんのコメント...

「成長しながら優勝」できたことは、本当に素晴らしいことだと思います。
準備期間は少なかったし、選手の怪我による離脱も多い中で、最高の結果を残しましたね。

収穫は結果と共に、若手に経験を積ませることができたことでしょうか。
特に北京世代の中でこれまで実績のなかった麻也、李忠成、細貝、西川の活躍は嬉しかったです。

一方で課題も残った大会だけに、「結果に目を瞑る」必要はありませんが(苦笑)、そこはきっちりと修正して欲しいです。
ジーコジャパンの二の舞は御免ですから・・・。

国内の日程問題やアジア大会の開催年も早急になんとかしてもらいたいですね。

kiri220 さんのコメント...

>どらぐらさん

成長はすばらしかったですね。
怪我人が多い中でよく頑張ったとおもいます。

北京世代は谷間と言われていましたが、戦力になったのはいいことですね。

結果よければというわけではなく、修正はきちんとやってもらいたいです。
勝てば官軍ではなく、内容がともなったサッカーを見せてほしいですね^^