W杯日本代表のMF中村俊輔(31)が、左足首痛の治療に専念することを岡田武史監督(53)に申し入れた。今季不調の一因となっていた左足首の痛みが24日の韓国戦後に再発。チームは26日に標高1800メートルのスイス・ザースフェー入りして直前合宿を開始したが、日本を出発する前に自ら“休養”を願い出た。30日のイングランド戦(オーストリア・グラーツ)は欠場が濃厚で、回復の状況によっては6月14日が初戦のW杯本大会で先発落ちする可能性も出てきた。
直前合宿初日から中村が別メニュー調整となった。スパイクは履かず、軽いパス交換のアップが終わると、DF闘莉王とともにチームから外れた。その後はトレーナーが見守る中、ランニングとボール回しを行った。
羽田空港を出発した際は言葉も笑顔もなく、青ざめた表情。だが、約12時間のフライトでスイス・ジュネーブに到着すると、吹っ切れたかのように、若手に交じって荷物を運んだ。「極力、足は使わないようにする。走るくらいはすると思うけど、これでまた悪化したら最悪だから。この時期に休むっていうのは本当は嫌なんだよね。イングランド戦?一番大事なのは本番だからね」。W杯まで半月という重要な時期に、自ら離脱を申し入れる異例の決断だった。
ケガだらけの今季、不調の一因だった左足首の痛みが限界を迎えた。4月3日の清水戦で相手と接触して捻挫。しかし、横浜の木村監督に「休んだ方がいい」と言われても、簡易ギプスを装着したり鎮痛剤を服用するなど休むことなくプレーを続けてきた。02年のW杯で日本代表から落選した悪夢、そして岡田監督の「試合に出ていない選手は呼ばない」という言葉が、休養を拒ませた。徐々に回復はしていたが、韓国戦で痛みが再発。後半18分で交代し「Jリーグではごまかせたけど、やっぱりしっかり治さないと」と弱音を吐いた。
韓国戦後、炎症を抑えて足首の可動域を広げる注射を患部に打った。代表の清水ドクターが「2、3日休んだからといって痛みが取れるものではない。この時期に10日も休めないということで打つことにした」と話したように、深刻な状態を受けて中村本人と話し合い注射を決断した。出発直前に中村と話し合った岡田監督も「もう少し、きっちり治したいと言ってきた。本人の意思があるので、それを優先させたい」と治療に専念することを了承。30日のイングランド戦は欠場濃厚だが「長くないと思っている」と早期復帰を願った。
韓国に完敗した日本は課題が山積みだ。攻撃面では中村もMF本田も孤立して機能せず、スイス合宿がコンビネーションを修正する最後のチャンスとなる。だが、中村の回復が遅れれば「ケガ、コンディションが悪ければ、試合に出られないのは当然」という岡田監督は中村抜きの布陣を組まざるをえない。06年ドイツ大会では左足小指のつめが割れ、39度近い熱が出るなど体調に苦しんだ中村。2度目のW杯へ向け最もコンディションを気にしてきた男は、再度のケガとともにメンバー落ちの危機を迎えた。
中村俊輔は大舞台とは縁がない。2004年のアジアカップこそ優勝したが、2006年W杯ドイツ大会では高熱と怪我に苦しみ、2007年のアジアカップでも体調不良で思うようなプレーができなかった。そして、今回の2010年W杯南アフリカ大会でも怪我で離脱。
岡田さんのチームはなぜか怪我人ばかりなのだが、中村俊輔も例外ではなかった。
W杯本戦でスタメン落ちということはありえないだろう。岡田さんは日本代表の「いつものメンバー」で戦うために怪我人でも平気で使うからだ。Jリーグで優勝するために怪我をしていた山瀬を出して、復帰がさらに遅れたという例がある。
別メニューとなると診断書を出して、バックアップメンバーと代えたほうがいいのだが、そうできない理由もある。進退伺いでファンの心を完全に失ってしまった岡田さんは、さらに日本のエースと多くのファンに思われている中村俊輔を外してW杯フランス大会のような結果になることを怖れている。
つまり、小心者の岡田さんと、中村俊輔の体調管理の悪さ(彼はかなり体調に気を遣っているのだが、怪我はしっかり治すべきだった)が重なり、弱い日本がさらに弱くなっている。という状況なのだ。問題はいくらでもあるのだが。
本質的な部分では話されていない。中村俊輔がいなければ同じサッカーはできず、出ても同じサッカーはできない。プランが完全に崩れてしまった今、何をいっても無駄ということなのだけどね。
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